桜貝のぶらり京都たび
日本の名城~『勝竜寺城』~明智光秀ゆかりの城
日本の歴史を知るうえで城の存在は重要な歴史的存在である。 いにしえの歴史を紐解いてみるうえでも興味深い、奥深いものがある。 北から南まで大小の城を歩くことを今後の課題としていこう。
Updated Date : 2022-05-01 11:14:26
Author ✎ himebara55
この記事のシェアをお願いします。☺

勝竜寺城
京都府長岡京市勝竜寺に所在、南北朝時代から江戸時代初期に存在していた日本の城である。 城名は付近の同名古刹(勝龍寺)に由来する。 安土城に先行する「瓦・石垣・天主」を備えた近世城郭の原点として評価される。
模擬櫓と虎口跡
勝龍寺城の主郭部分は東西120m、南北80mの長方形をしており、東、北側の幅12mの水堀を残している。 また東、西、北の三面には土塁が残っている。
秋のイベント『ガラシャ祭り』
毎年、秋には「ガラシャ祭り」イベントが盛大に開催されるがここ数年のコロナ禍で休止されている。今年は以前のような行事が無事開催されることを願う。
OpenMatome
城内の池で優雅に泳ぐ錦鯉
天正6年、智光秀の娘たま(玉、のちの細川ガラシャ)は、織田信長のすすめにより、勝龍寺城主・細川藤孝(幽斎)の嫡男・忠興(三斎)のもとに輿入れします。婚礼は勝龍寺城で挙げられ、幸せな新婚生活を送ったと言われている。
OpenMatome
沼田丸跡にある井戸跡
わずか4年後の天正10年、「本能寺の変」により主君・織田信長を討った明智光秀は、この勝龍寺城を拠点とし、秀吉を迎え撃つ。 圧倒的な秀吉軍の軍勢を前に、「山崎の戦い」に敗れた光秀は勝龍寺城に退却し、最期の夜をここで過ごす。 夜中のうちに城を脱出し、坂本城へ向かう途上、落ち武者狩りに討たれて絶命。 小栗栖の竹藪の中にはその記述がある。
はかなくも悲しい歴史物語である。

 大きな地図を表示
34.91807061805703
135.700662309755
0
0
0
16
34.91807061805703,135.700662309755,0,0,0
この記事のシェアをお願いします。☺


関連記事

永観堂の見学から~  『永観堂 禅林寺』
森林浴の旅行記(その2)~星が最も輝いて見える高原 『ヘブンスそのはら』
日本一大きい古代湖~琵琶湖 『琵琶湖博物館』
紫式部の歌碑 ~源氏物語ゆかり(No.21) 『白髭神社』
祇園祭の山鉾巡行(前祭)~『御池通堺町』


トップへ戻る